コノハチョウという昆虫を見て、ふと思ったこと。

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踊っている時とそうでない時のギャップ。一時そんなことに悩まされた時期があった。知らない人に出会って、踊る前と踊った後でその人の接し方が180度変わってしまうことだってよくある。パフォーマンスが成功した時なんて、大げさに言うと印籠がない時とある時の水戸黄門みたい。本当の私はどっちなんだろう・・・。そんなどうしよもないことを考えたりしたこともあった。

コノハチョウを見た時に何かとても納得してしまって、そうそう。そうなんだよね。どっちも私でいいんだよ!って思ったりした。別に私は踊りによってメタモルフォーゼしている訳ではない。枯葉の周りに溶け込んでて目立たない地味な蝶のような、普段のダサい私も、鮮やかな綺麗な羽を広げるような、踊って大勢の人に見てもらっている私も自分自身、羽を裏返しにしたような単純なこと。
しかも、コノハチョウの『花の蜜を吸わないで樹液や腐った果実、獣糞などにやって来て汁を吸う』という特徴まで、アンダーグラウンドにいて、美味しい所に行けない私みたいに思えてくる。
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今もたまに出会う人の私に対する接し方が踊りを見せると後で丸っきり変わってしまうことがあって、人間不信に陥ることがある。私が私の踊りを見たとしてもたぶんそうなるだろう。態度が変わったとしてもその人に罪はないのだけれど、私にそれを受け入れられる許容がないのが問題なのだ。そして逆もある。踊っている私しか知らない人に普段の私を見られるのが怖くなることがある。

そのギャップのお陰で「何で目覚めたの?」とか「なぜ踊っているの?」と聞かれると理由を挙げようと思えば挙げられるのだけど、「自分の素養です」と本当は言いたい。日常に鬱憤がある訳でも何かあった訳でもなくて、あえて言うなら自分自身に鬱憤というんじゃなくて単純にコンプレックスがあってそうなっている部分は勿論否めないけれど、それも自然なことではないのでしょうか。

骨董屋さんで数年前に買ったコノハチョウの標本。
見えないけど、内面は鮮やかな色。
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